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このサイトを運営しているのはどんな人なの?
・・・って疑問を持った方もいるかもしれません。
わたしは外食ビジネスの世界で、さまざまな会社と部署を経験しながら20年ほど過ごしてきました。
今も学んでいること、経験したこと、感じたことを情報発信していくことで、外食ビジネスに関わっているあなたの役に立っていけたらなと考えています。
詳しい人物像を知りたいかたは、この記事の後半部分『過去を振り返って~』を読んでいただければ分かってもらえるかなと思います。
ま、単なるおっさんの独り言なんだけど(笑)
年代別のイベント悩み
↓この辺は昔の感覚での話なんで、、、、今とはズレを感じます。
20~25歳
第2新卒とも言われますが、思ってたことと現実のずれを強く感じこのままでいいのかと考えています。
酒を飲むことや遊ぶことが楽しくて、徹夜で仕事にくることもあります。
人によってはSNSやゲームやギャンブルに夢中になります。
30歳
結婚の2文字がちらつきはじめます。
30歳を過ぎると転職が難しいという話を聞き、悩んで情報収集をしたりする段階です。
4~5年勤めていると、会社での自分の将来の姿がぼんやり見えてきますので、先行きへの不透明感が不安を煽ったりします。
35歳
子どもや家族との関係構築や、仕事と家庭のバランスでの悩みが生まれます。
人によっては、マイホームを考えたりするタイミングです。
35歳を過ぎると転職が出来ないという話が気になり、このままでいいのかっていう悩みがマックスに達します。
10年近いキャリアになると、店長のままでいくのか、上級職につくのか、本部やその他の部署にいくのかの予想がついてきます。
代謝機能が落ち始めるので、お腹が出てくる人が増えてきます。
40歳
10年後、自分が何をしているのかが気になります。
子どもの運動会にいけないとか、クリスマスや誕生日に一緒にお祝いできないとかの問題が心にチクチク刺さります。
夫婦関係がぎくしゃくだと離婚の2文字が浮かんできます。
40肩・50肩になったり体力が急激に落ちてきます。
頭での感覚や気持ちに対して、身体が言うことをきかなくなります。
転職は難しいと考え始めます。
子どもの習い事や塾、進学等で出費が増えてきます。
45歳
ここまで飲食でやってきた人ならば、よほどのことが無い限り達観しだします。
逆に言うと成長することを止めてしまうことが多いです。
趣味やギャンブルに生きがいを感じる人も増えてきます。
髪の毛が薄くなったり、白髪が増えたりもします。
50歳
50歳代は老眼による目の衰えが急激に進みます。
筋肉量が落ちたことも痛感するでしょう。
言葉遣いや、考え方が硬直してきて、周りとのコミュニケーションにギャップを感じます。
子どもの大学進学などで家庭での支出がピークになります。
親の介護の問題が出てきます。
過去を振り返って
幼稚園・小学校時代
幼稚園に入る前の記憶がほとんどありません。
赤ん坊の時の写真はあるんですが、それ以降小学校に上がるまで残っている写真もなく、記憶の空白地帯になっています。
何してたんでしょうか(笑)
母親はまだ健在ですが、認知症がだいぶ進んでいるんでこの辺の記憶が埋まることは生涯無さそうです。
幼稚園は、いわゆる年長組の最後の半年くらいから編入しました。
聞いた話では小学校に行く前にある程度の勉強をさせるのが目的だったとか。
なので、幼稚園は半年の経験でした。
お寺にくっついた幼稚園で、毎日行きたくないと泣いていたのとお坊さんのお経を読む声だけはかすかに記憶に残っています。
小学校に入る時に田舎の一軒家(貸家)に引っ越しをしました。
小学校は1学年1クラスしかなかったので、6年間ずっと同じ顔触れで過ごしました。
田舎の過疎地帯だったので、本当にのどかな環境でした。
家に車が無かったので、学校の帰り道にお百姓さんにせがんで農作業車(耕運機)に乗せてもらったりした時はめちゃくちゃ嬉しかったです。
夏はスズメバチやマムシにビビりながら、カブトムシやクワガタを取りに森の中に探検しにいったり、冬になると田んぼにある藁で秘密基地を作って遊んだりとわんぱく坊主でした。
学校では悪ふざけが過ぎて先生によく殴られたりしてました。
クラスの人数は20人くらいで勉強だとかスポーツだとかの競争意識も無かったな。
そもそも女の子を混ぜないと団体スポーツ出来ないし、競争になる場面が極端に少なかった(笑)
田舎だったこともあり、夜になると降るような星空で・・・時間を忘れて眺めていました。
この頃の夢は宇宙飛行士になって宇宙を冒険することでした。
中学・高校時代
中学校に上がる時に、小学校時代の仲間の半分は違う中学に行くことになりました。
通うことになった中学校はいくつかの小学校から集まっていましたが、私の小学校の同級生は最初は住む場所を馬鹿にされ続けました。
今思えば目くそ鼻くそを笑うレベルなんですが、田舎ほど差別意識が強い時代だったのかなと思います。
悲しいこともありました。
中学1年生の時に健康診断の検査で腎臓病でひっかかりました。
体調は悪くなかったし自覚症状も無かったんで、えっ何でって思う出来事でした。
入ったばかりの部活の先生から呼び出されて、
しばらく部活と体育の授業は休みなさいって言われて・・・えらい脱力感に襲われ・・・。
そのあと病院に行き検査で3日ほど、小児科の病棟で入院生活をしました。
なぜ小児科だったかは分かりません・・・。
病棟では、淋しい思いをしてたんで看護師さんの優しい声かけが嬉しかったのと、同じ病室の小さい女の子を見て、こんな小さいのに入院しないとなんて、本当に可哀そうだなって涙流した記憶があります。
あと、ごはんが不味かった。。。
中学は帰宅部だったんで面白くもなく、不登校まではいきませんでしたが進級ギリギリになるくらい学校には行ってませんでした。
ゴロゴロしながら「三国志」「織田信長」「太閤記」「徳川家康」「赤と黒」「ナポレオン」伝記や歴史の本ばかり読んでました。
高校に入った時には健康診断でひっかることも無かったので、やりたかったバスケ部に入部し、へたくそながらも頑張りました。
相変わらず学校の勉強はあまり興味をもてず、授業中に関係の無い本をコッソリ読んでることが多かったです。
この頃は、部活で忙しかったこともあり、親との接点が極端に減っていました。逆に接点がなかったことが良かったんでしょうね。
親に対しての嫌悪感(反抗期)はほとんどなくなっていました。
高校3年生の時に親が一軒家を買いました。
それまでは社宅→ぼろい貸家住まいで自分の部屋もなく「友達よべねーよ」とか不満タラタラでしたが、高校生の頃には住む場所への興味やコンプレックスも無くなっていました。
引っ越してから父親の酒癖の悪さが収まってきたのと、母親のヒステリーが無くなってきたのには正直ほっとしました。
大学時代
家から1日も早く出たかったこともあり東京の大学に進学しました。
就職で潰しが効くと考え経済学部を選びました。
念願の一人暮らしを始めて、アパートは家賃が2万円くらいだったかな?
共同トイレで風呂無しの素敵な部屋でした(笑)
同級生やバイトで知り合った人たちが酒盛りや麻雀しにきたりして楽しかった。
このころは時間が無限にあるように感じてました。
実家からの仕送りはあてにできなかったので、学校が終わってから夜は佐川急便の倉庫で仕分けのバイトで稼いでいました。
日給で1万円近くでていたと思います。
身体は一回りも二回りも大きくなって鍛えられましたが、ともかく仕事がハードでした。
バイトが終わって帰宅すると、甘いものや栄養価の高いものが欲しくなって、シロップやハチミツをどっさりかけたパンケーキをしょっちゅう作って食べていた記憶があります。
ホイップとかもそのままバクバク食ったりしてたね(笑)
バイトは夜中~朝までやってたんでいつも身体がボロボロでした。
大学ではサークルには入らず、授業以外の多くの時間を過ごしていたのが図書館でした。
その頃はミクロ経済学やマクロ経済学に興味を持っていて閲覧室で読みまくっていたのが記憶に残っています。
知識が増えてくるとパズルが組み合わさっていくように感じるのが楽しかったです。
3年生の時に休学
実家からの仕送りも切れてしまいました。
授業料の未払いなど経済的に立ち行かなくなり、その穴埋めで始めたプログラミングの仕事が面白くて社員として働き始めました。
勤務先は渋谷に本社のあった小さなソフトウエアハウスでした。
メインは〇〇銀行のシステム開発の下請け(孫請け?)の仕事でした。
仕事は納期に追われまくってて忙しく、週の半分以上は事務所に寝泊りしていました。
この頃は風呂も入ったり入らなかったりだったんで、だいぶ臭かったと思います(笑)
残業込みで月で30万円以上は稼いでいました。
20歳で手取りで30万円以上ですよ!
職場までアパートから電車で通うのがめんどくさくてタクシーで通勤することも何度もありました。
バブルで無駄遣いの極みでしたね。
まったく・・・もうちょっとお金貯められたな・・・( ;∀;)
プログラマーとして働き始めてからちょうど1年たつころ・・・
仕事を続けるか、大学を辞めるかの2択に悩みました。
結論としては、仕事はまたいつでも出来るけど大学はもういけないからと考え復学しました。
大学には戻りましたが、同級生が卒業していった後は人間関係もなくなり、バイトしてるとき以外は部屋に寝転がって本を読んだり、ぼーっとして過ごす時間が多くなっていました。
就職活動
就職活動はメーカーに入って安定して働きたいと考えていました(楽そうだ以外は何も考えていなかった)。
一番先に内定をもらった上場企業のメーカーに就職
そのころは将来の人生設計なんてまったく考えてませんでした。
周りが就職するから自分もみたいな・・・。
とんだ大馬鹿野郎でした。
営業職
仕事は営業とは言っても、官公庁相手で納品の調整などが中心でストレスはあまり感じませんでした。
佐川の黒バイトや、ソフトウエアハウスで1日20時間以上働いていた時に比べればヌルゲーでした。
その当時、ダルかったのが会社の寮に入ってたんですけど、
夜中に扉を同期や先輩社員がドンドン叩いて侵入してきたりでうるさくて・・・マジ勘弁。
携帯電話の無かった時代なんで、彼女に連絡取りたいけど寮にある公衆電話は先輩に使われてるしで(苦笑)
そのうち寮にはあまり帰らなくなり、同じ部署の先輩のアパートで寝かしてもらったりする日が多くなりました。
その先輩たちと、スナックに行ってワイワイ騒ぎながら店が閉まるまで飲んで、そのまま出社みたいな生活www・・・
当時はバブルの終わりに近いころで、まったく勉強せずに退廃的というか刹那的な生き方してました。
28歳
居心地の良かった会社を辞めて、某大手の外食チェーンに転職しました。
辞めた理由
- 給与が安かった
- エレベーターの順番を待つような昇進の仕組みにげんなりした
- 酒ばかり飲んでてダメ人間になりそうだった
- ここで挑戦しないと人生それまでかなと思ったため
もちろん店長で終わるつもりはなく、求人に掲載されていたFCオーナーにチャレンジして年収1千万円以上を目指そうと思ってました。
28歳でトレンチの持ち方など、基礎の基礎からパートのおばちゃんに教わりました。
〇〇さんありがとね。
独立する気持ちが強くあったので、不満はいろいろありましたが、遅れてきたルーキーとして挽回すべく頑張りました。
教育プログラム通り教わったわけではありませんが、マニュアルが揃っていて、何を覚えなければならないかがハッキリしていたのが良かったです。
仕事が終わると真っ直ぐ家には帰らず近くのファミレスに寄って1~2時間くらいは疲れた身体に鞭打って、今日覚えたことの復習をしたりマニュアルの勉強してました。
店長になったのは入社してちょうど1年くらいかな。
その頃には結婚もしていました。
店長になってから感じたのは、会社の中に店長がめちゃくちゃ多いこと、それに対して上級職のポスト数が少ないこと・・・
これは相当実績を残さないと上にはいけないなって感じました。
店長にもランクがあって昇進したときに、ボーナスでもらった札が立つことに感動しました。
そこらがピークでしたけど(笑)
退職
辞めた理由
24時間営業の繁盛店でともかく忙しいのに人がいなくて、眠くて眠くて死にそうな状態に追い込まれたことと、食中毒騒ぎがあったり、やくざとの大きなクレームに巻き込まれて家に帰れないことなどもあって・・・
ある夜、子どもの寝顔を見たときに涙が止まらなくなって、いったんリセットしようと判断し退職を申し出ました。
ちょっと近視眼的になってました・・・。
結果的には気持ちが切れて衝動にかられての退職となりました。
35歳 転職
飲食を辞めたあと、コンサルタントを目指してISOの認証会社の営業職につきました。
今回の営業は前職と違って、ひたすら電話で建築会社を中心にアポ取りの電話をして、運よくアポがとれれば訪問してセールスをかけていました。
コンサルタントと関係なかった・・・。
時間はほぼ定時で帰ってたんで問題なかったですがメンタルは結構やられました。
電話をガチャ切りされるのは日常茶飯事でしたし、怒鳴られることもありました。
それでもひたすら名簿でもらった番号の電話にかけ続けるとかで。
仕事が不向きであることを痛感する日々・・・
ストレスからか仕事以外の時間はネトゲにハマっており、コンサルタントになる目標も忘れてしまい、今から思えば無為な日々を過ごしてました。
それでも最初の2年はキッチリ契約も取れていたので収入は前職と変わらずでしたが、会社の規模縮小による人員整理で3年目に退職するハメになりました。
38歳
このころは大前研一を尊敬していてコンサルタントになろうという気持ちが強かったです。
コンサルになるために中小企業診断士の資格をとらねばって考えました。
学校に通うには経済的に厳しかったので(無職)、失業手当をもらいながら、独学(日本マンパワーの通信教育利用)で中小企業診断士の勉強を始めました。
1次試験までの準備期間は半年ちょっと。
難しいかなとも思いましたが、他に情報もなく選択肢も無かったため近くの図書館の自習室で、朝から閉館の20時まで勉強付けの日々が続きました。
期間は短かったですが人生で一番頭脳を使った時期でした。
今まで親らしいことは出来てませんでしたが、この時期は子供達と夜一緒に風呂に入ったり、寝る時に本を読んであげたりしました。
経済的にはきつかったですが、今まで子供と接する機会が少なかっただけに親としての幸せを感じられた時期でもありました。
中小企業診断士の1次試験は受かったのですが、2次試験で撃沈しました。
一番の敗因は2次対策に向けた情報が不足していたことと判断しています。
手ごたえが無かったので、2次試験を終えた帰りの山の手線の電車の中で、あー終わったなとか考えて帰宅の途に向かいました。
勝負をかけた数か月の努力が崩れ去ったことを実感し身体がずっと小刻みに震えていた記憶があります。
燃え尽き症候群ってやつですかね・・・
もうちょい長期的な視点を持って継続していれば良かったかなって反省しています。
収入のない生活をこれ以上続けるのは無理だったので、2次試験の結果発表を待たず、就職活動を再開しました。
もう何でもいいやとも思ったのですが、経験を生かすとしたら飲食しかないなと考え小さな飲食会社に就職を決めました。
39歳 転職
経験者ということもあり、4か月ほどの研修が終わるとすぐに店長になりました。
今までは大手のチェーン店ということもあり仕事を進める上での仕組みについてはストレス無くやれていたんですが、零細会社ということもありムダや非効率なことが数多くありました。
イライラしても仕方ないと、自分の気持ちを殺しながら仕事をしている時間が多かったです。
俺にはここしかないんだって言い聞かせながら仕事してました。
40歳
店長を2年弱やった後でエリアマネージャーに昇格しました。
最初は7店舗を担当しました。
車で店を巡回しながらSVの仕事をしたり、新しいメニューや販促企画を考えたり、社員の勉強会の講師をしたり、教育評価体制を考えたりと何でも屋として充実した日々が過ぎました。
小さい会社の利点としては、社内分業が未発達なのでアレコレ仕事をこなさなければならないことがあります。
反面、人手の問題や経営者の気まぐれで右往左往させられるとは思いますが。
体力の衰えが一気にきた時期でもありました。
今まで徹夜を続けたりとか無茶していたのが悪かったのかもしれません。
四十肩で両腕が上がらなくなるし、仕事中に派手に転んで肋骨を折るし、背骨を折ったり、虫歯で歯を3本抜くし、親知らずも抜くし(涙)
仕事そのものは充実してましたが身体的には人生の最悪期でした。
45歳 転職
この頃には統括マネージャーの役割になっていたこともあり、今まで以上に数値が重くのしかかってきていました。
現場を走り回って汗をかく人でなく、ジャッジする人になっていきます。
この会社に限らず外食で働いていて多くの社員、店長、同僚、事務方の人との出会いと別れがありました。
その中には、続けていれば大成したのになって思う人も数多くいました。
しかし・・・組織の中にいるとどのポジションになっても上と下の板挟みで・・・ストレスはどこまでも追いかけてくるもんです。
会社に対しての忠誠心というよりは、このくらい私ならやれるっていう根拠のない自信で仕事してました。
株式投資を始めたのは50歳が見えてきた頃です。
将来の不安を解消するために、少額ずつでも資産を増やしていければと考え購入しています。
額はわずかですが、働かなくても入ってくる配当金や株主優待は有難いものです。
50歳
今ですね。
束縛されるものが無くなり、単なるフリーダムなおっさんへと進化をとげました(笑)
年齢とともに思考や物事の捉え方の柔軟性がなくなってきている気もしています。
インプットする情報の偏りがないように、様々なジャンルの本を読んだり、ネットで調べたり、YouTubeで動画を見たりしています。
回数は減りましたが、趣味の登山も行ってます。
都会の喧噪の中での暮らしと、雪山のもつ沈黙の世界、鳥のさえずりだけ聞こえる静かな世界。
いつまでもここにいたいと思う気持ち。
満天のミルキーウェイを見上げたときには、このまま時間が止まってしまえばと願うことも・・・。
ミッション
長文に付き合っていただきありがとうございました。
真面目と投げやりの間を行ったり来たりの繰り返しで・・・
戦略をしっかりもって、コツコツ積み重ねていけてたら別な人生もあったかなと感じます(痛感しています)
こうして過去を振り返ってみると・・・
悩んで寝れない夜を過ごしたことも数多くありました。
一人になったときに悔し涙を流したことも多いです。
不器用なせいもあり何度も転職をしてきました。
ほんとに笑ってしまうくらい数多くの失敗をしてきました。
でも今は、そんなやつだから伝えられることもあるんじゃないかなって思っています!
飲食店経営 情報サイトでは飲食店で働く人向けに情報発信しています。
後から足跡をたどってくる人が、少しでも歩きやすい道になるように整備していくことをミッションだと考えています。
未来を切り開くために必要なのは・・・
好奇心と勇気をもつこと
人と比較してはいけない、あせってはいけない、いらいらしてはいけない・・・
最後に私の好きな言葉を
It Ain’t Over Til it’s Over.
終わるまで終わりじゃない。